建築に夢を抱いて

徳岡浩二(徳岡設計/意匠設計)
1961年生まれ/建築の仕事を目指した時期:小学生

1967年に家族旅行でモントリオール万博を訪れた時、アメリカ館「バイオスフェア」やモシェ・サフディ設計のハビタット67のデザインに驚いた記憶があるが、それが父にとって大阪万博の準備視察であったことは頭の片隅にもなかった。 帰国した大阪のまちは活気にあふれ希望に満ち溢れていた。 太陽の塔の施工に関わっていた祖父と何度も万博の現場を訪れた。 千里丘陵の竹藪を切り拓いた黄土色の大造成地が街へと変わっていくのを眺めながら。 小学生の頃、 将来は建築家になり100階建ての超高層ビルの設計をして世界を飛びまわって活躍すると無邪気に信じていた。 しかし1973年には第一次オイルショック、そして高校在学中には第二次オイルショックで建築家への夢に絶望し、路を見失った。ようやく道がひらけてきた頃にはバブル景気でアメリカ留学を延期して黙々と設計に取り組んだ。 経済に翻弄されながら悩み、迷いながら歩んできた建築と社会。 これからは支えて頂いた多くの方々への感謝を 「形」 にしたいと考えている。